3月10日(日) 20時-20時半
日曜礼拝のメッセージからのシェアをしました。
(ハンナ)
私たちが火皿だと言われ、ワーオと思った。この世から取り出されて、火で清められて残った聖いものとされたことが本当にすごいことだと思った。出エジプト30:29にもあるように最も聖なるものとされたこと、そういう自分として、信仰の上に立っていく。礎の上にどうして火皿を置いたのかということも前よりもっとわかり、それもワーオと思った。
先週も学んだルカ19:38~の箇所で祭りをしていたというところから、イエス様の真剣さによって救われたことを考えるともう祭りをする気になれないと思った。
(マリア)
民数記16章のコラの話から、祭司の堕落してしまったことを聞き、その堕落は損得を考えるようになり自分の事しか考えない状態になってしまい汚された神殿。でもそれがイエス様の死と復活、その贖いがあり、きよめられ再建された神殿が教会で、火皿で香をたくことは賛美がささげられ祈りがささげられる場であると聞き、この福岡礼拝所も祈り、賛美が捧げられて、神様との交わりの場であるべきだと思った。